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第49回 韓国・ハンセン病元患者さんたちが暮らす定着村へ

出発前。韓国外語大前で(2008年8月8日)
東葛看護専門学校 菊池 静華

 2008年夏、全羅北道イクサン農場に韓国外語大の学生・日本人留学生、日本の大学生・社会人で14日間のワークキャンプに行ってきました。

●定着村の子どもたちは
肉じゃがを作って村人にふるまう。右端が私
 イクサン農場は、ハンセン病元患者さんたちが暮らす定着村です。植民地時代に隔離政策が実施されていましたが、解放・朝鮮戦争の混乱を経て、韓国では1960年ごろから、各地に定着村を作り自分たちで生計を立てて暮らすような政策をとりました。補助金は微々たるもので、自分たちで土地を開墾し、養鶏、養豚、農業などで暮らさなければならず、病状を悪化させてしまった方が多くいました。それでも、子どもを産み、今は孫やひ孫までいる方もいらっしゃいます。
 村の子どもたちは、イクサン農場で暮らしている子もいますが、休みを利用してソウルなどの都会から祖父母の暮らす村に遊びに来ている子もいました。自分の祖父母がハンセン病元患者であるということを知らない子もいます。私の出会ったヨサという女の子は、仁川空港近くに住む 16歳の高校生でしたが「村に友達を連れてきたい」とハラボジ(おじいさん)に言ったら、「絶対にダメだ」と言われ「どうして?」と不思議がっていました。

●「ハンセン病の社会的な治療は、君たちがするんだ」
小鹿島(ソロクト)という日本人が作った療養所 のある島を訪ねて説明を聞く

 あるハラボジの話では、「息子が医師になることを望んだので、大学の医学部まで行かせた。だけど、定着村の出身だと知れると、なにもかも駄目になるので『絶対に帰ってくるな』と言ってある」と話してくれました。
 また、村の近くの市場で働く青年は、快く配達をしてくれるのですが、「この村に来るのを誰も嫌がるよ」と教えてくれました。韓国も、ハンセン病に関しての偏見差別は根強く残っています。
ハルモニ93歳
そして、それは日本の隔離政策の影響が根強いのだと、強く感じました。
 元患者団体のイ・セヨンさんが話してくださったことが印象的です。「ハンセン病の社会的な治療は、君たちがするんだ」「君たちが流す汗は、とても重要。社会を変える力がある」。若者ができることは何なのかを示唆してくれていると思います。

●交流を続けたい
再会したハラボジと。右が私(2009年1月)
 キャンプ最終日、宿舎に一人のハラボジが訪ねてきました。流暢な日本語で「浪曲のテープを送ってほしい」と言われます。私以外の青年たちは浪曲を知らないのです。帰国してから、CDをテープに録音し、歌詞をハングルで打ち直して送りました。
 2009年1月にキャンプのメンバーとハラボジを訪ねました。ハラボジは突然の訪問で驚いた様子でしたが、すごく喜んで「毎日テープを聴いている」と言ってくださいました。
 このような交流ができることが嬉しく、また行きたいと思っています。

看護NOW