

東日本大震災で不幸にもお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災されたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。勤医会看護部は被災地・被災者の方々への積極的な支援と、多くの方々と心をひとつに頑張っていきたいと決意をしております。
東葛病院は貯水槽が壊れ、1週間断水しました。その間隣接している付属診療所から、人力での給水活動で乗り切りました。図書室の本だな、カルテ棚が倒れ、病室、階段の壁の一部が破損しました。代々木病院は渡り廊下に亀裂がはいり使用できなくなりました。みさと協立病院は水漏れしたり、当日エレベーターが使えなくなり、患者さんの食事160食を2階3階の病棟に、職員の手で階段移送し配膳しました。
そのような中東葛病院から第1陣の医療支援部隊が出発しました。地震から2日目、まだ高速道路の整備もされていない中、医療支援証明をもらい、宮城県塩釜市にある坂総合病院へ医療支援活動に参加しました。参加者は医師2名・看護師2名・事務2名。
以下東葛病院看護師の宗川愛さんの報告を掲載します。
私たち6名の参加者はそれぞれ別の支援部隊に配属されました。私達看護師2名はトリアージ外来の黄色ブースへの配属でした。黒・赤・黄・緑ブースがあり患者さんは病院入り口で重症度別にトリアージされ各ブースに運び込まれるように整備してありました。
黄色ブースの場所は元々リハビリ室で、約50名の患者さんを受けられるように、臨時の療養場所となっておりました。 患者さんの管理はリーダーナースが行い、入院?帰宅?帰宅先?すぐに病院から帰宅できない患者さんは一時的に検査室で待機となり、患者さんが黄色ブースに留まらないようになっていました。
来院者の多くは、慢性疾患があるが津波により定期薬を失い飲むことができずに症状の増悪、飲んでいる薬もわからない、病歴もわからない方々でした。また、水や食べ物の不足による脱水、発熱・嘔吐・下痢・喘息発作・インフルエンザなどの患者さん、片付けをしていての外傷、PTSDと思われるパニック状態の患者さんも来られました。それ以外にもストーマ保有者が装具を持ち出すことができずに皮膚障害を起こして相談に来院する姿もありました。在宅介護用品のほとんどは電気を必要とします。電気の回復のしていない在宅での療養が困難な患者さんや在宅酸素の患者さんが一時的な避難場所として療養していらっしゃいました。黄色ブースは入院の適応でない患者さんは治療が終了すると帰宅していただくことになっております。家族や親戚など、身を寄せる場所がある患者さんは早々に帰宅していました。しかし、避難場所へ帰られる患者さんは、帰る場所もないとつぶやき、避難場所は混雑、混乱していて足をのばす場所もないと話される方々もたくさんおられました。
病院で治療しても避難場所へ帰る患者さんが多く、翌日再び来院される患者さんもいらっしゃいました。その多くは、高齢者夫婦や身寄りがない高齢者や障害のある患者さんでした。早急に受け皿となる療養先の確保や対応が必要だと感じました。
この状況の中でも坂総合病院のスタッフは笑顔で患者さんへ声をかけていました。そのスタッフも被災者です。連絡の取れない身内もいると話すスタッフもいました。3時間の休憩で、病棟・外来とローテーション勤務しており、自分だけ休むわけにはいかないし、自宅に戻っても何もないからと話すスタッフもいました。地震後一度も帰宅せずに院内に寝泊まりしながら、医療活動に取り組み、笑顔を絶やさずに患者さんに声をかける姿は本当にすごいと思いました。他人を思いやれる、そんな暖かい空気が坂総合病院内には確かにあり、団結力を感じ、復興できる力をもっていると思いました。