代々木病院 山本登美子

「3月11日の大地震」から1カ月たった4月16日から20日迄、多くの人の援助をもらって宮城県塩釜市と多賀城市にまたがる「坂総合病院」へ支援に行かせてもらった。
全国の民医連の仲間とともにバスに乗り込み、東京を出発し、東北道に入った。栃木に差し掛かったころから、ちらほらとブルーシートのかかった屋根が見えだす。宮城県に入り、仙台市の若林地区を見渡せる所に差し掛かる。広い田園が津波で大きくその姿を変えていた。根こそぎで横たわる松の木、車も含め「がれきの山」テレビで見ていた光景が広がった。店も開いており、ほっとした気持ちになった。しかし、街の一角は様子が全く違い、今も津波の被害そのままの姿であり、壊れた店は修理されることもなく、あの日のままに放置されていた。この違いがどこから来たのか、と考えた。

翌日からの支援活動は、長町病院の近隣の住宅1軒1軒に、医療にかかれない人が居ないか、被災で困っている事がないか、長町病院が再開している事を伝えるなどの目的で訪問を行った。30件ぐらいの方に話を聞いた。外からは大変立派な新しい家が多かったが、そんな家でもタンスが倒れ、壁にヒビガ入ったという。「地震保険でもおりないと治せない、今度大きいのが来たらもたないよ」など生活は出来ていても地震の被害が大きい事を感じた。

また、避難所の診療も行った。18時からの夜間診療も取り組まれ、日中片づけや仕事に行っている人の健康管理を目的としている。無症状だが、血圧が高くなっている人が多かった。被災者の方は、私達には明るく話してくれる方が多く、どちらが励まされているのかと思ったほどである。「家は流され何も残っていない。せめて位牌だけでもないものか」と、毎日30分かけて家の有った所を探しに行っている。もともと膝が悪かったから堪えるよと受診された。診療の合間に聞く話は淡々としているが、厳しい現実話が多かった。支援の仲間とは、どのような体験をしたか、どんな話を聞いたかを交流しあった。皆自分のこととして受け止めており、今後どうしたらいいのかを話しあったり、とても印象深かった。