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第82回 新たな挑戦にあたって

東葛病院 総看護師長 大谷 洋子

 東葛病院の総看護師長の役割をこの5月末で終えることになり、一番大変だったのは何だったのか考えた。やはり東日本大震災で東葛病院が被災して、屋上の給水タンクが破損後、水が復旧するまでの1週間だったと思う。


●被災しながらの支援活動

 思うように患者さんを受け入れられないもどかしさ。トイレの水が出ないため、各病棟で夜間から朝にかけて、きつい臭いがし、療養環境が悪化してご迷惑をかけたこと。また、この1週間はちょうど職員のご家族の安否確認ができなかった期間でもあった。無事を確認できないまま夜勤に入る看護師の涙。被災を受けながらも透析患者さんを受け入れ、坂病院の支援に送りだし、物資の調達、支援物資の受け入れなど、職員一丸となって取り組んだ。東北地域の被災に比べれば何ということもないが、私自身はまいったなと正直思った。そして、若い人が頑張る時期に来ているのだと閃いた。

●新しい器には新しい人材を

 幸いなことに、東葛病院のリニューアルが現実のものとなり、今度は災害に強い病院ができる。新しい器には新しい人材を投入しなければならない。2011年度、法人看護部は5年間を目途とした看護政策に取り組んだ。人材育成を柱とした政策は、事業活動と不可分なものである。その意味で今回のリニューアルは、あらたな挑戦である。

 布石は12月に産科4床をオープン、1月からHCUの実績づくり、2月から算定した。小児科の入院患者数の増加、救急車も4月は200台、断らない医療を強化している。各チームが方針と目標を持って、質を向上させ、学び続け、新しい病院の礎となってほしい。

 しかし、夜勤人数が足りないため、夜勤協定違反が多く、この間労働組合から、改善を迫られ続けている。労組の要求もあり、急性期の夜勤当直アルバイトの賃金が3万5千円となり、身近な人を紹介してくれる輪もできたが、まだまだ足りない。看護労働の実態からは、たとえ額面が大きく見えても、賃金は見合わないものである。まして最小の労力で最大の賃金を得ようとする時代の潮流からは逆行するようなものである。

●だからこそ...

 今年、全日本民医連の総会が開かれた。震災時の支援は質量ともに、抜きん出て優れていた報告に、改めて民医連で働くことに清々しい感動を覚えた。

 震災後、政府の政策は新自由主義へ暴走を始めている。いまという時代は大きな転換点に立っていると思う。だからこそ、法人の看護部で困難を共有しつつ団結し、あらたなたたかいに挑戦しようと思う。

看護NOW