伊藤恵子さん(73歳)は1990年頃から手足の動きが悪くなり、経営していたスナックをやめなければなりませんでした。当時はいろいろな病院を受診しましたが病名がわからず、1998年に筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)と診断されました。手足の動きが悪くなり、徐々に歩けなくなり、呼吸する筋力も弱くなってしまう進行性の病気です。
●お花見を兼ねた外出は長年の夢

現在は手足が全く動かせず寝たきりで、人工呼吸器をつけています。話すときは管の横に付いている小さな管に酸素を流し、空気が漏れないよう管の入っている喉元を押さえてようやく声がでます。全て介助が必要です。栄養は胃ろうから直接栄養剤を入れています。
恵子さんは夫と二人暮らしで、子どもはいません。長年恵子さんの介護をしてきた夫も、今は病気で入院しています。恵子さんは外出ができず、お花見を兼ねた外出は長年の夢でした。主治医、訪問看護師、ヘルパー、ケアマネージャーで毎年計画しますが、天候や恵子さんの体調などでずっとできずにいました。今年4月5日はすべてに恵まれ、中野通りのお花見をすることができました。
●次の夢につながって
リクライニング機能のある車椅子の下には人口呼吸器、痰を取るための吸引機とチューブ、酸素ボンベを積んでいます。長く体を起こしておけないため、はじめの目標は30分でした。ところが、久々の外出で近所の仲良かった人に挨拶をして回りながら、ようやく中野通りに出たのが家を出て30分後。主治医の伊藤浩一医師も外出を聞いて合流。桜の下で記念撮影をして戻るかと思ったら、「まだ、行く。大丈夫」の声も出るほど。
早稲田通りの自宅から薬師アイロードを通って中野通りへ。西武新宿線の踏み切りでUターン、北野神社に寄って戻りました。計1時間40分。これは、恵子さんがこの日のために、体を長く起こす訓練をしていた努力の成果です。
そして、このことが自信につながり、「次は兄が経営する店で食事会をする」「夫の入院している病院へ面会に行きたい」(この二つはもう実現しました)、「その次は同じ病気になった篠沢教授に会いに行く」と、夢がつながっていきます。

●前向きに生きる恵子さん
上高田訪問看護ステーションが恵子さんと関わって9年。はじめの頃は部屋に花や植物を飾ることは無い状況でした。人工呼吸器を付けていて身体に良くないと思っていたからです。長く病気と向き合う中、夫や兄弟、友人などが支えてくれ、音楽を楽しめるようになり、さらに、室内は温室と思えるほど植物にあふれ、ヘルパーに世話の指示を出すほど恵子さんはポジティブになりました。そして、今回のお花見が実現。夢を叶えるお手伝いができて嬉しく思います。
恵子さんは、このお花見を契機に外への希望が深まり、自分のこともぜひ多くの人に知らせたいという思いを抱くようになったようです。今回も「看護NOW」に掲載したいとお願いをしたら、快く引き受けてくださいました。実名公表を希望され、写真をいただき、こんなこともあんなこともと語ってくださいました。恵子さんの前向きさに励まされる日々です。