本町訪問看護ステーション 菊地泰子
地域に住むAさんに起きたことを通して、「自己責任論」について考えました。
Aさんは非常に真面目で無口な方です。80代後半の母親を介護しながら自営業をされていました。母親の認知症が進行し、徘徊などもみられるようになり、他県へ嫁いだAさんの姉も、時々介護を手伝に来てくれていました。
●そこまで追い込まれていたとは…
Aさんの母親が入院し、Aさんは毎日病院に通い、食事介助をされていました。仕事との両立が大変なことは、容易に想像がついたので、私たちは、Aさんに会うたびに「何か困っていることはないですか? お手伝いすることがあったらいつでも相談してください」と声をかけていましたが、「いつもありがとうございます。大丈夫です。何とかやれますから」という返事でした。
しかし先日、Aさんは、母親がショートステイから帰宅する直前に、自宅で手首を切ってしまいました。
地域の見守り協力員さんが異変を感じ家に入って、血だらけのAさんを発見し、すぐに救急車を呼び病院へ搬送してくれたので、一命は取り留めました。
利用者さんではありませんでしたが、地域でつながりのある人が、自殺行為をするまでに追い込まれていたという事実と、声をかけ続けたものの何の援助にもなっていなかったことに衝撃を受けました。
●追い詰められていく構造
ケアマネは、Aさんの介護負担を何とかしようと、デイサービスやショートステイ等のサービス利用を勧めていましたが、Aさんは「自分が面倒みるべきなのに、介護サービスを利用していいのでしょうか?」「親を邪魔にしていると思われるのではないだろうか?」と躊躇するばかりで、なかなか利用につながらなかったそうです。Aさんは、搬送された病院から治療のため専門病院へ転院となり、現在は自宅に戻って、仕事も少しずつですが再開をしています。
Aさんの周囲には、ケアマネや、近所の人、デイサービスやショートステイの職員、そして私たちと、多くの人々がいて気にかけていたのですが、追い詰められてしまいました。多分、最初はAさん自身も、自分は大丈夫、自分で何とかできると考えていたのだと思います。介護は家族がするべきで、親の面倒は子どもがみて当たり前、仕事も自分の努力で何とかしなければと考え、責任を全部背負いこみ、閉じられた状況に追い込まれ、どうにもならなくなったと考えられます。
●自己責任論に惑わされず、権利を守るために
自己責任論は、自分の責任と思うことで思考を内閉化させてしまい、結果的に孤立してしまう考え方ではないかと思います。個人の責任にすべきではない社会的な不平等を、個人の責任に転嫁して、社会的不平等から目をそらさせるために使われています。
自己責任論に惑わされず、利用者の今や追い込まれた状態だけを見るのではなく、利用者の生きてきた過程をよく知ることが重要だと思います。自分の生きてきた過程を聴いてくれる看護師を、「自分を理解してくれる人」として、また看護師も一人の生活者として利用者を捉えることでお互いの信頼関係が築かれます。
私たちは看護の専門職だからこそ、病気や障害を持つ人の困難さや心理について理解できるという強みがあります。生きたいと願う人の側に立ち、権利を守ることも、私たち看護師の重要な役割と改めて学びました。