2011年4月アーカイブ

坂総合病院前でリハビリの神野さんと原田さん(左)

 みさと協立病院現地支援第2陣は、3南病棟看護師の原田さんとリハビリ室の神野さんが、全日本民医連の支援バスで、4月1日から5日の4泊5日で現地支援に行ってきました。
  原田さんは、岡田小学校でみさと健和病院の看護師とともに、24時間体制の救護室の任務を担当しました。以下原田さんの現地レポートを中心に報告します。


 この地区は昨日(4/1)ようやくガスが復旧したそうです。
  私の担当は、避難所の岡田小学校の救護室で24時間体制です。支援期間中はずっとここにいることになっています。今は約300人の方が避難生活を送っています。午前は歯科診療、午後は内科、あと心のケアの先生が来ます。避難所となっている体育館は保健師担当。救護室は看護師担当です。
  避難所の体育館を回っている保健師との間に2回カンファレンスがあり、診察に繋げたい人、診察が必要と告げた人、午後の診察の看護師に伝える事柄などを意思統一しています。
  外には自衛隊の炊き出し、トイレは仮設トイレでぽっとん式便所。被災者の方々のお風呂は、昨日からようやく週3回入れるようになりました。
  避難所の会長さんはとても熱い方で、秩序を守ることをとっても重視していらっしゃいます。
  ここはインフルエンザや下痢、嘔吐の方はいなく、今は上気道感染や花粉症の方が多いように思えます。外は寒く雪が少しちらついています。風邪をひかないように頑張ります。


原田さんは合間をぬって被災者の皆さんに体験したことを聞きとっていました。

「あれ(津波)がくると思うと体が震える」
・いまだに奥さんが見つからない
・度重なる余震の中で、悲鳴に近い声を出し、椅子の下にもぐろうとした方は「またあれが来ると思うと体が震える」
・津波がすぐ後ろまで迫ってきて必死に逃げた。私の後ろには波にのまれた方もいた
・軽トラックに乗っていて波にさらわれたが、必死に車から出て近くの木にしがみついた。2回目の津波で妻と孫がのみ込まれた

等々、激しい地震や津波を体験した方々の生々しい声を聞いて、貴重な体験をさせてもらった、と原田さんは話していました。


石巻市街の被災状況 坂総合病院内の様子 坂病院支援第2陣メンバー。右から2人目が内田さん

 東葛病院第2陣の医療支援は3月18日~22日の日程で、医師2名、看護師2名、事務2名で行ってきました。以下看護師の内田てる美さんの報告です。

 民医連の全国の病院・診療所から200名を超える支援スタッフが現地入りしています。医師・看護師・OT・PT・薬剤師・事務、たくさんの職種が集まりみんな「何でもやるぞ」と意気揚々。みんな支援期間中の食料・寝袋持参です。支援物資もたくさん集まっています。

 避難所になっている中学校に医師、看護師、事務、薬剤師で訪問してきました。
  日中は自宅などの片付けに出ている人も多いとのとで16時から夕食までの時間に訪問させていただきました。
  ここの避難所には学校の先生・市の職員・民生委員・保健師が被災者のケアにあたっています。
  学校が始まるため3/23には閉鎖の予定で、それぞれが自宅や施設、他の避難所に移る方向とのことです。
  4教室に分かれて30人ほどの方が生活しています。
  水・電気の復旧に伴って避難者は徐々にすくなくなってきているそうです。
  教室には毛布が2重にひいてありストーブなど暖は取れる状況ですが、夜間や気温の低い日は床から冷えるのではないかと心配です。

 高齢の方で嘔吐などの症状があった方は、おかゆなどを個別に作ってもらって食事も取れるようになってきたそうです。一人暮らしのため今後は施設に入る予定ということでした。
  19歳の女の子は津波にのまれそうになり歩道橋の上で一晩過ごし、いまだに体が冷えた感覚が続いているそうです。どんなに怖かったことでしょう。
  避難生活も1週間を超え、肩こり・腰痛の方が多く、また片付け作業などで怪我をしている方もおられました。
  ほとんどの人は疲れがたまってきて血圧が高くなっている状態です。
  かかりつけのクリニックが被災し糖尿病の薬がもらえない、薬がもうすぐなくなるという方もおり、開いている病院を紹介したり薬のご相談にのったりしました。

 ここに非難している人は、自宅が水につかってしまったとか、家具などが倒れて入れない状態という人が多かったのですが、片付けたくても高齢者世帯でとても手が出せない、子供は東京にいるがガソリンも手に入らないので来ることもできないと嘆いておられました。
  かろうじて自宅に帰れたとしても食料など生活物資の調達に大変な苦労があります。ますますの生活支援が必要です。

 夜間の外来もめまいや頭痛、吐き気など、度重なる余震と生活のストレスから体調不良を起こしている方が多くみえられました。
  家を流されたという高齢の方は「命はあったけどこの身ひとつしか無くなってしまった」とつぶやいておられました。長年身を削って働いて働いて培ってきた生活を一瞬にして飲み込んでしまった津波。
  どれほど悔しく無念なことか。一日も早い東北の復興を祈ります。


現地で足浴を行っている根岸さん

3月29日の現地支援第1陣報告集会での発言から...

 坂総合病院のある地域は、高台にある新興住宅街と高台の下にある古い住宅街とが混在する地域で、古い住宅街はすべて津波に流され、高台にある住宅はレースのカーテンがひらひらとなびいて損壊しておらず、「天国と地獄」の光景だった...。

 避難所に入った時には、食事は温かいものが炊き出しされるところもあれば、未だに一日おにぎり一つで過ごしているところもあるそうです。また、炊き出しや居心地の関係で、三桁いた避難者が翌日には、十数名になるようなところがいくつもあるそうで、すべての避難所に十分な物資が届いていない状況です。

 毎日の活動では、病院では継続性が必要な医療はもちろんのこと、救急対応にも相当な患者さんが来ているそうです。今は下痢・嘔吐・発熱が多いそうです。さらに異動が困難な方が大勢いる避難所へ赴いての診療も欠かせない活動となっています。医療以外の活動では、足浴をしたり・髭をそってあげたり・爪を切ってあげたり・話を聞いてあげたり、その他多種多様にやることが出てきているそうです。等々、現地支援に行った3南病棟の西看護師と介護福祉士の根岸さんの、思いがこもった熱い報告会になりました。


医療支援に出かける第1陣メンバー。左端が宗川さん 大きな爪痕が残る宮城県多賀城市

 東日本大震災で不幸にもお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災されたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。勤医会看護部は被災地・被災者の方々への積極的な支援と、多くの方々と心をひとつに頑張っていきたいと決意をしております。

 東葛病院は貯水槽が壊れ、1週間断水しました。その間隣接している付属診療所から、人力での給水活動で乗り切りました。図書室の本だな、カルテ棚が倒れ、病室、階段の壁の一部が破損しました。代々木病院は渡り廊下に亀裂がはいり使用できなくなりました。みさと協立病院は水漏れしたり、当日エレベーターが使えなくなり、患者さんの食事160食を2階3階の病棟に、職員の手で階段移送し配膳しました。

 そのような中東葛病院から第1陣の医療支援部隊が出発しました。地震から2日目、まだ高速道路の整備もされていない中、医療支援証明をもらい、宮城県塩釜市にある坂総合病院へ医療支援活動に参加しました。参加者は医師2名・看護師2名・事務2名。

 以下東葛病院看護師の宗川愛さんの報告を掲載します。

 私たち6名の参加者はそれぞれ別の支援部隊に配属されました。私達看護師2名はトリアージ外来の黄色ブースへの配属でした。黒・赤・黄・緑ブースがあり患者さんは病院入り口で重症度別にトリアージされ各ブースに運び込まれるように整備してありました。

 黄色ブースの場所は元々リハビリ室で、約50名の患者さんを受けられるように、臨時の療養場所となっておりました。 患者さんの管理はリーダーナースが行い、入院?帰宅?帰宅先?すぐに病院から帰宅できない患者さんは一時的に検査室で待機となり、患者さんが黄色ブースに留まらないようになっていました。

 来院者の多くは、慢性疾患があるが津波により定期薬を失い飲むことができずに症状の増悪、飲んでいる薬もわからない、病歴もわからない方々でした。また、水や食べ物の不足による脱水、発熱・嘔吐・下痢・喘息発作・インフルエンザなどの患者さん、片付けをしていての外傷、PTSDと思われるパニック状態の患者さんも来られました。それ以外にもストーマ保有者が装具を持ち出すことができずに皮膚障害を起こして相談に来院する姿もありました。在宅介護用品のほとんどは電気を必要とします。電気の回復のしていない在宅での療養が困難な患者さんや在宅酸素の患者さんが一時的な避難場所として療養していらっしゃいました。黄色ブースは入院の適応でない患者さんは治療が終了すると帰宅していただくことになっております。家族や親戚など、身を寄せる場所がある患者さんは早々に帰宅していました。しかし、避難場所へ帰られる患者さんは、帰る場所もないとつぶやき、避難場所は混雑、混乱していて足をのばす場所もないと話される方々もたくさんおられました。

 病院で治療しても避難場所へ帰る患者さんが多く、翌日再び来院される患者さんもいらっしゃいました。その多くは、高齢者夫婦や身寄りがない高齢者や障害のある患者さんでした。早急に受け皿となる療養先の確保や対応が必要だと感じました。

 この状況の中でも坂総合病院のスタッフは笑顔で患者さんへ声をかけていました。そのスタッフも被災者です。連絡の取れない身内もいると話すスタッフもいました。3時間の休憩で、病棟・外来とローテーション勤務しており、自分だけ休むわけにはいかないし、自宅に戻っても何もないからと話すスタッフもいました。地震後一度も帰宅せずに院内に寝泊まりしながら、医療活動に取り組み、笑顔を絶やさずに患者さんに声をかける姿は本当にすごいと思いました。他人を思いやれる、そんな暖かい空気が坂総合病院内には確かにあり、団結力を感じ、復興できる力をもっていると思いました。